韓国人 住生活

 昔から人間は寒さと敵の攻撃から自分を守られる自然洞窟や丘陵地の丘の上で暮した。その当時の旧石器人は狩猟とか採集生活を通じて移動しながら生活したが、新石器時代から人々は農事をして一つの場所に定着し、穴蔵を造って住みはじめた。穴蔵は地表面より低く土を掘って圓形・橢圓形・方形などの穴蔵を造り、中央に竈を作って底には泥を敷いて押し固めた。その当時の穴蔵は穴が60〜100cmで深かったが、青銅器時代を経てから穴蔵の深さが浅くなり、三国時代に入って今日と似た韓屋で住みはじめた。

 韓民族は寒くて寒風が吹き、雪もたくさん降る長い冬を過ごすために部屋の中を暖かくする ゛オンドル゛という煖房施設を用い、暑くて雨のよく降る湿気の多い夏には 涼しい ゛マル(床)゛を使った。寒い北の地方ではオンドル部屋が発展し、暑い南の地方ではマルが発達された。韓屋の最高の特徴はオンドルとマルといえる。韓屋を建てる材料は自然の中で見つけやすい木・土・石などを活用し、骨格は主に木で屋根も木を、その上に草を掛けたり土で焼いた瓦を載せた。壁と底は木と石を混合して部屋の底は泥を塗ってからその上に紙を張って使った。家具はたいてい木で作り、寝所は 折ったり敷きやすい掛け布団と敷き布団を使った。

 韓屋を建てる時は背山臨水の地形に北の寒風を防いで南の土を耕作しやすい所を選らんだ。たいていの韓民族は南向きの家を選好して東とか南に出入口を設置した。低い垣根で隣家と境界を表して家の内外に果樹を植えた。藁屋の場合は年に一回秋の刈り入れの後で村人たちが集まって稲の藁葺きをするが、ヨンマルム(藁で編んだ覆い)を編んで縄を綯って屋根を作る。冬は炊き口に火をくべて主に部屋の中で生活し、夏は涼しいマル(床)で暮す。表門を除いた韓屋の出入門は右手で外から引いて開けるようになっていて、部屋の中に入るためにはデッドル(靴脱ぎ石)を踏んで敷居を越したりマルを通る。たいてい部屋に座って生活してお客様が訪れた場合は舎廊房(座敷)でもてなし、主人は部屋のアレッモク(炊き口に近い所)に座ってウッモク(非煖房装置の付近)のお客様と話を交わす。

 韓民族は長い間農耕中心の定着生活をしてきたので豊かな農家には母屋・舎廊棟・甕の置き場・井戸・牛舎・豚小屋・鶏舎・犬小屋などがあり、庭の隅に厠・灰の物置・肥の場がついていて近くに野菜畑がある。表門を開けて庭に入ると婦女子の暮す母屋と男性たちの生活する舎廊棟が見えるが、母屋が舎廊棟よりやや高い所にある。庶民の家は主に藁葺きになっていて、一つの屋根の下に奥座敷と座敷とご飯を炊く台所が配置されている。反面に、豊かな人々の家はほとんど瓦屋根で婦女子の空間の母屋と男性たちの舎廊棟があり、士大夫の家には祖先の位牌を祭る祠堂がある。

  富裕な家の奥の間には婦女子が使う針箱と服を仕舞う二段や三段作りのたんすが、座敷には三段造りのたんす・衣紋掛けのたんす・貴重品を入れる上部開きのたんす・薬を保管する百味箪笥などが置いてある。昼耕夜読する士人の舎廊には書案と本箱などが、士大夫の場合は四角い棚と手文庫を置く。マルには穀物を入れる米櫃と貴重品を保管する櫃が置いてある。倉には米櫃と金箱、穀物を入れた俵などが保管されている。 台所には調理器具と食べ物を盛る食器、飲食を保管する戸棚、水を入れておく水桶、薪などが置いている。

 韓民族の伝統社会では ゛男女七歳不同席゛という観念のため成人男女が出会うとお互いに 顔を避ける内外をした。両班家では夫婦有別の観念で夫は座敷で、婦人は奥座敷を嫁に譲るまで奥の間で過ごした。伝統的に男性はほとんど飲食の調理をしなかったので台所は女性の専用空間であった。しかし庶民の家では両班家のように内外する風俗が強くなかった。